新発見! 高山市での富本憲吉氏の足跡
- 更新日:2014年7月25日
- ID:834
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庁舎ギャラリーの展示作品に追加されました!
戦時中、富本憲吉氏が高山市に疎開していたことから、高山市観光協会、高山市等の協力で安堵町職員が、
富本憲吉氏の足跡などの現地調査を行い、当時の窯跡(かまあと)から発見されたものです。
庁舎ギャラリーの展示作品に、下記作品を追加展示しましたので、是非ともご覧ください。
「染付皿片」 昭和20年頃、 岐阜県高山市
東京美術学校工芸講習所(現在の東京芸術大学) が高山市の芳国舎(ほうこくしゃ)(渋草焼)に疎開していました。
ここで、指導していた富本憲吉氏が登窯(のぼりがま)をかりて、講習所の生徒と制作を行っていた頃の皿片が
窯跡(かまあと)で発見されました。
芳国舎 : 1841年(天保12年)に創業。
明治十一年、高山の名家事業家の「三輪源次郎」が主となり、有志によって経営が引き継がれ、
明治政府『後藤象二郎、伯爵』、『勝海舟、伯爵』、『山岡鉄舟』の関わりのもと【芳国社(舎)】
と命名されました。
渋草焼 : 飛騨高山で江戸末期から続いている手造り、手描きの焼き物(陶器、磁器)です。
染付皿片 昭和20年頃、岐阜県高山市
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